Japanese Stallion in the Wharton School
日本の種馬が、イタリアの種馬・ロッキーバルボアのホームタウン・フィラデルフィアで MBA 取得目指して奮闘中!
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旅 (4) アメリカ編
そういえばアメリカにもチョットいたことを思い出した。

大学の交換留学なるもので半年ほど遊んでいた。
これがおいしく全部のお金は大学持ち。
なおかつ一緒に行ったのは女の子8人。
9人仲良く一つ屋根の下で一軒家を借り切って住んでいた。

男一人を快く受け入れてくれた女の子にも感謝しなければいけないが、そこは19歳そこそこの小僧。
そんなそぶりは微塵も見せずに、図書館という真夜中は誰も来ない場所を発見!
現地調達に勤しむ。

最近その女の子達と飯を食べたが、昔が懐かしくなった。
仕事を始めてからの人生が濃過ぎて忘れてしまっていたが、そんな素晴らしき日々もあったのね。

その時以来のアメリカ。
今度はもしかしたら彼らの職を奪うかもしれない立場での渡米。
本気で行かないと現地調達は大変だぞ!小僧。

家に帰ってきて久しぶりにテレビを見たが、古舘伊知郎ってどっかに行ったほうがいいね。
いくら朝日新聞が反安倍でもアジテートしすぎだよ、あれ。
安倍っち、がんばれ!

皆さん、投票所に行きましょう。

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旅 (3) カタール編
旅、第3編、場所はカタール。

カタールには 2004 年ごろから合わせて4ヶ月ぐらい滞在させてもった。

私の勤めていた会社はカタールに世界最大の液化天然ガス生産基地を現在建設している。
主にこのような資源プロジェクトは大まかに言うと先ず初めに Feasibility Study (FS) を行い大まかな事業の採算性を確認する。
それに OK が出れば技術的には Front End Engineering Design (FEED) と呼ばれる仕様の確定、初期設計、国際入札用パッケージ作り、予算用の大まか見積もり等をエンジニアリング会社に行わせる。
その FEED 時に唯一建設予定地にて工事が行われるのが現場の地質調査である。

小生、Construction Manager として当地質調査を行ったがこれが非常に面白い中東初体験であった。

勿論いつも通り完全一人の砂漠での放置プレーだが、現場に付いた瞬間、客先(エクソンモービル)の Construction Manager から怒られた。
「お前の会社はこの工事舐めているのか!!この工事が遅れたら後に続くすべての工事が遅れるんだぞ!!なんでこんな若造を送るんだ!!」
「確かに事故でも起こしたら後に続く兆円単位の工事に影響があるかもしれないが、俺はスペシャリストだから大丈夫だ!!」と張ったりをかます未経験者の若干27歳の若造。そしてロジックに畳み掛ける。
抜いた刀をどこに振り下ろそうか迷い、ネパール人の Tea Boy に「なんで普通のコーラを俺に出すんだ!!いつもダイエットコーラだろ!俺を殺す気か!」と怒鳴り散らす推定体重150kgを超えて明らかに自らケツを拭けない50歳台後半の既に手遅れの Construction Manager。

確かにカタールは安全や環境に関して非常にうるさく、事実海がめの巣を守るためと言う訳のわからない理由でプラントの建設位置をチョット動かしたりした。
(ちなみにプラントエリアのすべての草には番号が振ってあり役所で管理している)
既設プラントがあるために特に安全には厳しく確かに世界最高の安全要求をしてきた。
要求が厳しくなれば厳しくなるほど工事は手間がかかりお金もかかる。
例えば防爆対策としてすべての車は改造させられ、現場に持っていく簡易トイレの電気スイッチまで防爆仕様に変えさせられた。
ワーカー120人の安全講習やら昼飯の手配と一人放置プレーでなければやらない仕事までやらされた。

しかし、そこは問題ないにもかかわらず「ヤバイ!ヤバイ!」と叫び周りを巻き込み仕事をゴリゴリ進める日本の小僧。

何とか工事期間を一ヶ月縮めお客さんにほめられて帰国。

ここで学んだ事は、大変な仕事をやり遂げるかどうかは能力の差もあるが、“覚悟”をいかにして決めるかである!!

Wharton でも未経験エリアの学問を学ぶが“覚悟”を決めてゴリゴリ同級生に食らい付いていきたい。

私生活と言えば女禁のエリア中東ではあるが、そこは27歳の女性を見る目がギラギラしまくっている小僧。
持ち前のゴリゴリ感を武器に老略男女問わずに遊びまくる。
完全に中東のディープな世界にどっぷり浸かり中東ライフを満喫。

取り合えず遊び疲れたので中東はもう結構です。

風邪が相変わらず抜けないため、肺炎を心配して病院でレントゲンを取ったが問題ないらしい。
ドンドン体が小さくなっていく、、、。

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旅 (2) インドネシア編
旅、第2編、場所はインドネシア。

インドネシアには 2002 年ごろから合わせて一年以上滞在させてもった。

私の勤めていた会社は若手に非常にピープルマネージメントの機会をくれる会社で、入社3年目の小僧を某中国資本の石油会社のプロジェクトの Building Gr. Lead Engineer としてジャカルタの現地エンジニアリング会社の JV オフィスに放置プレー。
仕事内容は JV パートナーのエンジニアを使い、約10億円の Building Work のエンジニアリング、材料調達、サブコン契約の管理及び遂行である。

今までシコシコ建物を設計したいた側から、それを指示・管理側に周り、若干25歳で異国に地にて豪快な放置プレー。

管理者として非常に勉強になった仕事だ。

インドネシアは精神的に非常に年功序列の国であり、且つ赴任し管理した会社が半国営会社であったため終身雇用が輪を掛けて年功序列を際立たせた。
そこへ赴任してきた25歳の女性を見る目がギラギラしまくっている小僧。

特に土木建築分野は既に出来上がっている学問と言う事もあり、詳細の設計に関しては彼ら年上エンジニアの方が詳しい。
しかしこちらも設計・スケジュール・コスト管理と言う点については負けるわけには行かない。

このような中でいかにグループメンバーをモチベートさせ、一丸となって仕事を進めていくかに非常に手を焼いた。
時にはやりすぎて部下から打ち合わせの席で、"I am not your slave." とありえない言葉を投げかけられたりした。

しかしそこはへこたれない日本の小僧。

部下の家族を会社に招待したり、誕生日会をしたり、マネージメントミーティングに部下を出席させたり等色々な手を使って帰属意識のアップや各個人の家族への仕事に対する誇りの刺激し、なんとかチームをまとめる事ができた。

この時は約30人ほどの部下とある程度の小規模のグループメンバーであったが、国籍や年齢層がばらばらなため結構管理が難しかったが、人をリードしていくとはどういうことなのかと言う事に関して本当に色々な事を学んだ。

特に Wharton に来る学生はファイナンスバックグラウンドを持っている人が多く、動かしているお金も半端ないが、その中にいるとマネージャーとして有る程度の人数の人を動かした経験が自分を差別化できる良い材料なのかもね。

ヤッパリ皆さん、他人と違う事をした方がお徳ですぞ。

あと、途上国に行くと必ず感じるのが性とお金の問題。
ジャカルタもその渦中にあり、夜の街(or 日曜の昼間)を歩いていると非常に複雑な思いをする。
Non-Indonesian なおっさんが、下手すれば孫と同年代のインドネシアの女の子と平気で手を繋いで歩いている。
無論おっさんはヨーロッパ・アメリカ系、中国人、韓国人、日本人と色々いるが、特におじいちゃんはヨーロッパ・アメリカ系が非常に多いい。
需要と供給の関係で成り立ち、”そんな事はやめるべきだ!!”なんて責任も取れないのに無責任に言うべきではないのは知ってるが、おじさん、「僕、お金払わないと誰も相手にしてくれないんだよね~。終ってるから」って看板、首からぶら下げていて恥ずかしくないのかね、って上から目線。俺は押尾学か?

風邪のためウェイトはずーっとお休み。


旅 (1) アゼルバイジャン編
今まで同年代の人と比べると結構色々な場所に滞在したと思う。
特に多くの人が経験のできない(興味を持たない?) 場所に行く事ができた。
その最たる場所が旧ソ連のアゼルバイジャンであろう。

アゼルバイジャン共和国;カフカス地方に位置する旧ソビエト連邦の国。北はロシア、北西はグルジア、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。アルメニアをまたいで西南方に飛び地のナヒチェヴァン自治共和国があり、アルメニア、イランおよびトルコと接している。首都はバクー。

この国には 1999年に初めて仕事で滞在したがその後数々の事情により 5,6 回は行ったと思う。

1999年、その当時私の勤めていた会社には研修と称して若手社員を海外のプラント建設現場に放り込むという制度があった。
赴任先候補は、アメリカ、カタール、サウジ、シンガポール、タイ等色々あったがアゼルバイジャンもその中の一つである。
なぜか分からないがこれらの候補地を聞いた時に、アゼルバイジャンという国名に非常に引かれた。
その当時のアゼルバイジャンに関する私の知識は首都がバクーでありその昔ノーベル兄弟がバクー油田の石油で大儲けしたぐらいの知識しかなかったのだが。

しかし石油大好きの私にはバクー油田という、なんとも石油くさい町の名前と、旧ソ連というオドロオドロシイ響きに引かれ先物買い的にこの国を赴任先に選んだ。

行ってみた結果は大正解!
油田地帯の存在感もそうであるが、それ以上に旧ソ連という我々旧西側から言うと"007"の映画にしか出てこなかったような特殊な社会構造が私の脳みそにカルチャーショックを引き起こした。

目の前にそびえる数え切れない程の旧式の石油櫓、そこそこ可愛いロシア人、外国人を ATM 代わりして拳銃がキャッシュカードと勘違いしているファッキングな警察官、旧共産主義的思想に凝り固まり全くやる気の無いワーカー、眉毛が繋がっていたり髭が生えていたりするアゼルバイジャン人の女の子、創造性は少ないが一度やり方を決めると驚くほどの精度をはじき出す手作業で高さ80M の煙突を作り出す鉄骨屋、個人ベースになると驚くほど愛情を持って接してくれるアゼルバイジャン人、そこそこ可愛いアゼルバイジャン人、アジア人がいないので町を歩くとジャッキーチェンと叫びながら写真を一緒にとって欲しいとせがむ初老のアゼルバイジャン人、安全性のかけらも無いプラント、カナリ綺麗なペルシャ系の女の子。
すべてが我々の価値観を壊してくれた。

それ以来、旧ソ連マニアとして色々なところに行ってるし、旧ソ連の友人も多いが、何年経ってもアゼルバイジャンが私の貴重な人生の原点の一つである。

最近、縁を再認識したのは、Wharton の Admission の面接官がロシアに住んでいたらしく、私のレジュメの旧ソ連歴を見た瞬間にロシア語で面接を敢行してきたことだ。
これが無ければ彼の頭の中に私の印象は無く、合格できなかったであろう。

中途半端なロシア語で Wharton ロシア語面接なんとかクリアーしたが、この2年間での一つの目標は、正確なロシア語を話せるようになる!!ことだ。

ヤッパリ皆さん、他人と違う事をした方がお徳ですぞ。
(女の子も可愛いし)





プロフィール

 Stallion

Author: Stallion
自分の夢に向かって一念発起し Business School に入学。
いろんな人との出会いを期待しつつ、和製資源メジャーを作るために助走中!

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